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唐入りと光海君

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どうも。

読者のみなさんは、イ・ビョンホン主演の韓国映画『王になった男』は、ご覧になったでしょうか?

イ・ビョンホンの二役がなかなかよかったし、脇を固めるリュ・スンリョン、ハン・ヒョジュ、キム・イングォンもとても魅力的だった。朝鮮王朝もののなかでは、なかなか楽しめる映画だと思う。

▲『王になった男』 オリジナルタイトルは『光海』

で、イ・ビョンホンが演じたのが、李氏朝鮮第十五代国王の「光海君」

ここで「あれっ」と思った方もいると思うけど、李氏朝鮮の王様はほとんどが、○祖と呼ばれるんだけど、この王様はいわば役職名の○○君。

○祖というのは「おくりな」で、王様の死後につけられる名前のことで、これがないってことは廃位された、つまり死ぬときに王様じゃなかったってことなんだよね。

李氏朝鮮で「おくりな」が無いのは光海君と燕山君のふたりだけで、どちらも韓国では暴君としてのイメージが強い。

それもそのはず、王室記録などの歴史は勝者によってかかれるもので王座を追われた人物がよく書かれるってことはまずありえない。

映画の中で光海君が、「大同法」を推進する話が出るんだけど、これは両班(ヤンバン、貴族階級)と大地主が農民から搾取するばかりだった税制を、まともな税制にして農民の負担を減らして国庫を潤そうという現実的な税制改革だったんだよね。

映画では影武者が勝手にに「いい政治」をおこなって実際の光海君がどうだったかまではあまり描かれてなかったので、当時の東アジアの状況を絡めながら簡単に説明してみるよ。






14代国王 宣祖の側室の次男として生まれたのが1575年。

(この年、日本では織田・徳川連合軍が武田軍を破った「長篠の戦い」があった。火縄銃で騎馬隊を倒したセンセーショナルな戦いだよね)

光海君の実の兄ちゃんはとっても気が荒くてまわりから「あいつやべー」と思われてたらしく、早々に王世子(世継)からは除外されてたみたい。

お母さんは側室だったけど正室に子どもがいなかったので、光海君は実質世継レースのトップにいたわけだね。

彼が17歳の1592年、秀吉の唐入り(朝鮮出兵・文禄慶長の役)が始まる。秀吉が当時の明に戦いを挑んだ戦争だね。李氏朝鮮は明を宗主国としていたから当然、明・朝鮮連合軍隊VS日本軍という形になったんだけど、光海君は親父といっしょに頑張ったみたい。

1598年、秀吉が死んで朝鮮出兵が終わったあとは国内復興で大忙しだったとおもう。何せ次の王様は自分になる可能性が高かったからね。

ところが、1602年に親父の正室がなくなると、親父が2番目の正室を娶って男の子が生まれる!
このせいで誰を次の王様に推すかで臣下たちはまっぷたつに割れちゃうんだね。

1608年に親父が死んだとき、正室の子は6歳だからさすがに王様は無理で、光海君が第15代国王になる。光海君は当時33歳。

でも光海君を推す人たちは不安だったみたいで、正室の子と兄を謀殺しちゃうんだね。これが後に暴君といわれる最大の理由。ただ王室内の勢力争いであって民衆は関係ないよね。

さあ王様になった光海君。なにをしたかというと・・・・

翌年の1609年に、実際的な日本との和議となる「己酉約条」を結ぶ。日本は1603年に江戸幕府が開かれて、家康も海外には興味なかったみたいだしね。
で、実際にはこの和議によって日本と朝鮮はお互いにほとんど干渉しない時代に入るよね。当時世界的に見ても強大な軍事国家だった日本と書類のうえでも和議を結んだのは悪くない功績じゃないかな。朝鮮通信使は彼のときに始まってるね。

その日本と一緒に戦ってくれた明なんだけど、このときの出費がかなり高くついちゃったこともあって国が弱まっちゃうんだよね。その隙を突いて女真族ヌルハチ後金国を作ってがんがん力をつけて1619年に明と衝突(サルフの戦い)。大敗して明は滅亡し清の時代になるんだね。

光海君は割と先を読んでたのか出兵したくなかったみたいだけど、先の戦争の恩義もあって兵を送って捕虜になった兵もいたみたい。大国の覇権争いに振り回されるのは朝鮮の毎回の悲哀なんだろうね。時代は違うけど(元→明)、映画『MUSA』でもそんな混乱した状況が描かれてる。

▲映画『MUSA』

で、負けたあとは後金とやりとりして明との間で中立的な役割をしたみたい。

結局その後明は滅びるわけだし、この辺のバランス感覚はなかなかいいんじゃないかな。韓国では実利外交って呼ばれてるね。

そして国内的には、さっき説明した税制改革を行って、戦争でぼろぼろになった国土と財政を立て直そうとしたわけだ。
映画でも描かれてるけど、その過程で既得権益を奪われた勢力の反感はかなりあったんじゃないかな。ただでさえ後継者争いできついことやっちゃってるし・・・

あとドラマでもよく描かれる医師ホ・ジュンを支援して、朝鮮初の医書「東医宝鑑」の編集をさせたんだとか。

▲キム・スヒョク版 ドラマ『ホジュン』

こうしてみると、あれ?そんなに悪くないじゃない?というかむしろ頑張ってる印象。

ただ彼にとって不幸だったのは、当時の朝鮮は派閥争いがとにかくひどくてまともに政治がしにくい状況だったこと。まあこれは朝鮮末期まで続いて国力を弱めたんだけどね。

で、そんな派閥争いによって光海君は王位から引き摺り下ろされちゃう。親父の2番目の側室と自分の甥っ子を担ぎ上げた反対派のクーデターで1623年に廃位。江華島に流されちゃう。光海君48歳、在位期間は15年。

その後、反対派は外交政策をバランス型から従来の明重視に変えて、結局覇者となった清に攻められちゃう。それが1636-1637年の「丙子胡乱」だね。

▲映画『神弓』

この時の様子は映画『神弓』で描かれてるね。まあ映画はフィクションだから、実際にはあんな抵抗は出来なかっただろうけどね。

光海君の甥っ子、仁祖は屈辱的な「三田渡の盟約」で清に臣下の礼を取らされて、その後1894年の日清戦争後の下関条約締結まで、朝鮮は清の朝貢国になったわけだね。




とまあ光海君が生きた時代はまさに東アジア激動の時代だったわけで、常に他国と派閥争いにに振り回されぱなっしの状況の中で光海君は実はけっこう頑張ってたのかもしれない。

ちなみに光海君、その後 済州島に流されて66歳で生涯を終えてる。

若いときは日本との戦争で国はぼろぼろ、人生のほとんどを派閥争いに巻き込まれ、王になって頑張ってみたけど結局クーデターで失脚、バランス外交むなしく国は清に攻められて・・・・

晩年の気持ちはどんなだったろうね。




彼が王世子時代の日本との戦争で活躍した武将、イ・スンシンを描いた映画『ミョンリャン』は今年公開予定。


監督は『神弓』のカン・ハンミン
チェ・ミンシクがイ・スンシン役で、リュ・スンリョンは日本の武将役のよう。チン・グも出るとのこと。

タイトルはおそらくイ・スンシンが戦死した最大の海戦「露梁海戦」のことだろうね。

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